大変ご無沙汰の書き込みです。
時々チェックはしていたのですが、体調面の問題等もあり、書き込みを休ませて頂いておりました。
今日は、ちょっと抜粋話で書き込みをしていきたいと思います。
この記事を書く前の最後の記事に書いた記事にも現在の日本の臓器移植法について書いたワケなのですが・・・。
昨今マスコミで騒がれている臓器移植の事件(?)の報道を見ていると『現実を知らない連中がごちゃごちゃ何を言っているのか』 と怒りすら感じます。
以前の書き込みで私自身が移植を待っている人間の一人であるとカミングアウトしてしまっているので正直に書きますが、偉そうに医療ジャーナリスト と称する連中が万波医師の批判をしていますが、今回のことは起こるべくして起きたと私は感じています。
政府の怠慢、マスコミの一方的な報道、無関心な日本国民、これらは今回の事件を起こした共犯者と言えるでしょう。
移植を受けられれば確実に生きられる人々が次々に死んでいく中、政府もマスコミも健常者と呼ばれる日本人もみんな見殺しにしてきている現実をどれだけの人が理解して万波医師を批判しているのでしょうか?
移植を待つ人々は血を吐く思いで、わらをもすがる思いで殆ど奇跡に近い望みを臓器移植ネットワークに託していますが、その殆どが現在の日本ではその望みが叶うことなく命を落としているのです。
万波医師がどんな気持ちで廃棄されるはずの腎臓を移植していたかは知りません。
患者にとって、医師の気持ちなどどうでもいいのです。
現実的に自分の病気が治るかどうかが第一の問題なのです。
そう言うことを言うと必ずfont>倫理的に問題があるのでは? ときれい事を言ってくる人権派と称する人々がしゃしゃり出てきます。
その人権派と称する連中にとっては我々病気を持っている人間には人権はないのです。
以前にも臓器移植法の改正案が出されましたが、その時に真っ先に反対を訴えたのは野党と日弁連です。
野党は今でも選挙の時には『弱者の為』とか言っていますけど、実際には病気を持った人々の切り捨てを公然と公約に掲げていることになるんじゃないですか?
実施してくれる人、施行してくれる人の本心なんて本当はどうでもいいのです。
私のような当事者にとっては彼らにとって金儲けや人気取りであっても私の命を救ってくれる人であればそれでいいのです。
人気取りやって人の為になるのであれば別にいいじゃないですか。
むしろ、きれい事を掲げて片っ端から法案をつぶしてくれる人たちの方が私にとっては大変迷惑な話なのです。
確かに倫理も大切でしょう。
ただ、現在起きたことの根底にどんな理由が、原因があるかを何も考えずに批難ばかりする連中を私は許せないし、もし、今回のことを本当に問題だと思うのであれば、移植ネットワークが発行している移植の意思表示カードを持つなり、アイバンク、腎バンク、骨髄バンクに登録してから文句を言うべきでしょう。
何もせずに何も知らずに文句を言っている人々は今回起きている移植に関する事件の共犯者の他なりません。
ここで言っておきます。
マスコミで異色に関する事件を批判しているコメンテーターの殆どは意思表示カードも持っていないし、アイバンク、腎バンク、骨髄バンクにも登録していないし、献体登録もしていない人々です。
何故そんなことが分かるかと不思議がられるかも知れませんが、カードを持っていたり、登録をしていたりする人はあんな一方的なコメントは絶対に出来ないからです。
知らないうちに臓器提供させられていた人、どこから来た腎臓か分からずに移植された人、今回の事件には二通りの立場の人がいたわけですが、色んな意味での力関係は前者の方が遙かに強いのです。
もし、今回続いた事件を非難するのであれば、『移植が必要な人間は有無を言わさず全て殺してしまえ!』 くらい言われた方がまだすっきりします。
死なせてしまったら人道的に問題があるから、とりあえず生かしておけ・・・というのはそう言った発言より遙かに残酷で重い物であると言えます。
この機会に皆さんにもっと考えて頂きたいと思います。
私は臓器提供を待つ立場ですから、これ以上のことは言えません。
提供に協力するかしないかは提供者が考え、決めることなのですから。
今回続いた移植に関する事件に関して、私は何一つ批判することが出来ません。
もし、お金があったら、チャンスがあったら私が当事者になってたかもしれませんし、現在の日本ではこうしないと生きていけないという現実があるからです。
こうした現実に、皆さんは何をお思いになるでしょうか?
時々チェックはしていたのですが、体調面の問題等もあり、書き込みを休ませて頂いておりました。
今日は、ちょっと抜粋話で書き込みをしていきたいと思います。
この記事を書く前の最後の記事に書いた記事にも現在の日本の臓器移植法について書いたワケなのですが・・・。
昨今マスコミで騒がれている臓器移植の事件(?)の報道を見ていると
以前の書き込みで私自身が移植を待っている人間の一人であるとカミングアウトしてしまっているので正直に書きますが、偉そうに
政府の怠慢、マスコミの一方的な報道、無関心な日本国民、これらは今回の事件を起こした共犯者と言えるでしょう。
移植を受けられれば確実に生きられる人々が次々に死んでいく中、政府もマスコミも健常者と呼ばれる日本人もみんな見殺しにしてきている現実をどれだけの人が理解して万波医師を批判しているのでしょうか?
移植を待つ人々は血を吐く思いで、わらをもすがる思いで殆ど奇跡に近い望みを臓器移植ネットワークに託していますが、その殆どが現在の日本ではその望みが叶うことなく命を落としているのです。
万波医師がどんな気持ちで廃棄されるはずの腎臓を移植していたかは知りません。
患者にとって、医師の気持ちなどどうでもいいのです。
現実的に自分の病気が治るかどうかが第一の問題なのです。
そう言うことを言うと必ずfont>
その人権派と称する連中にとっては我々病気を持っている人間には人権はないのです。
以前にも臓器移植法の改正案が出されましたが、その時に真っ先に反対を訴えたのは野党と日弁連です。
野党は今でも選挙の時には『弱者の為』とか言っていますけど、実際には病気を持った人々の切り捨てを公然と公約に掲げていることになるんじゃないですか?
実施してくれる人、施行してくれる人の本心なんて本当はどうでもいいのです。
私のような当事者にとっては彼らにとって金儲けや人気取りであっても私の命を救ってくれる人であればそれでいいのです。
人気取りやって人の為になるのであれば別にいいじゃないですか。
むしろ、きれい事を掲げて片っ端から法案をつぶしてくれる人たちの方が私にとっては大変迷惑な話なのです。
確かに倫理も大切でしょう。
ただ、現在起きたことの根底にどんな理由が、原因があるかを何も考えずに批難ばかりする連中を私は許せないし、もし、今回のことを本当に問題だと思うのであれば、移植ネットワークが発行している移植の意思表示カードを持つなり、アイバンク、腎バンク、骨髄バンクに登録してから文句を言うべきでしょう。
何もせずに何も知らずに文句を言っている人々は今回起きている移植に関する事件の共犯者の他なりません。
ここで言っておきます。
マスコミで異色に関する事件を批判しているコメンテーターの殆どは意思表示カードも持っていないし、アイバンク、腎バンク、骨髄バンクにも登録していないし、献体登録もしていない人々です。
何故そんなことが分かるかと不思議がられるかも知れませんが、カードを持っていたり、登録をしていたりする人はあんな一方的なコメントは絶対に出来ないからです。
知らないうちに臓器提供させられていた人、どこから来た腎臓か分からずに移植された人、今回の事件には二通りの立場の人がいたわけですが、色んな意味での力関係は前者の方が遙かに強いのです。
もし、今回続いた事件を非難するのであれば、
死なせてしまったら人道的に問題があるから、とりあえず生かしておけ・・・というのはそう言った発言より遙かに残酷で重い物であると言えます。
この機会に皆さんにもっと考えて頂きたいと思います。
私は臓器提供を待つ立場ですから、これ以上のことは言えません。
提供に協力するかしないかは提供者が考え、決めることなのですから。
今回続いた移植に関する事件に関して、私は何一つ批判することが出来ません。
もし、お金があったら、チャンスがあったら私が当事者になってたかもしれませんし、現在の日本ではこうしないと生きていけないという現実があるからです。
こうした現実に、皆さんは何をお思いになるでしょうか?
中国で臓器移植、実態把握へ日韓学会が合同シンポ
中国に渡航して臓器移植を受ける患者が増えていることから、日本移植学会(田中紘一理事長)は9月8日、韓国移植学会と合同で、海外渡航移植の様々な問題を議論する初の国際シンポジウムを千葉市の幕張メッセで開く。
この問題の実態把握に、国際連携で取り組む先駆的な試みとして注目される。
シンポジウムでは、日韓の詳しい渡航データを発表するほか、英国の研究者が、欧州からアジアへの渡航移植の状況を報告。渡航移植の国際ルール作りの可能性なども議論する見込み。
過去に中国で移植を受けた日本人は、厚生労働省研究班が4月に発表した調査結果によると、判明分だけで腎臓106人、肝臓14人の計120人にのぼる。
一方、韓国の中国渡航患者は、同国移植学会の調査で、1999〜2001年の1〜4人に対し、04年には120人を突破。把握されていない患者も含めれば、「年間1000人近い」とみる医療関係者もいる。
欧米からの渡航者数は不明だが、英国移植学会は4月に「中国では死刑囚から本人や家族の同意なしに臓器が摘出され、金銭授受が行われている」として批判の声明を発表している。
(2006年5月29日14時59分 読売新聞)
10日ぶりの更新となりました。
留守中にもコメントを頂きまして、ありがとうございました。
自宅に帰って参りましたので、また、時間の許す限り、言いたい放題なブログですが、書きつづっていきたいと思います。
さて、久しぶりに我が国の臓器移植法について語ってみたいと思います。
臓器移植に関しては日本は先進国の中でも法的にも国民意識的にも相当後れをとっている分野になります。
反対派の方々の言っていることも理解出来ないワケじゃないんですけれど、当事者の私としてはどうしても賛成派に回らなくてはならない現実もあったりして・・・心中としては中々複雑な部分もあります。
まして、与党の提出した臓器移植法改正案については野党が日弁連とつるんで反対に回っているモノだからちょっと賛成派としては頂けない状況となっています。
脳死が人の死と認めるか否かについての議論ははっきり言って未来永劫、これだ!と言う答えが出てくることはないでしょう。
脳死移植が医学の進歩によって作られた技術であるなら、脳死状態で様々な機械を取り付けて心臓を動かし続けるのもまた、医学の進歩によって作られた技術であります。
本来の自然の姿だったら助かるはずのない命であることは否定出来ないのです。
もう随分以前のドラマでしたが、命を維持し続けることが医者の使命だ!みたいな台詞を言っていたドクターの役がいましたけれど、生きていたって、自分で呼吸し、ものを食べ、自分の足で立てなければ生きていると言えるのか?と考えたモノでした。
私自身がずっと病人として生きていた為の感想だったのかも知れませんが、自分の力で何も出来なくなって、生きていることの実感を感じられなくなった状態でただ、心臓を動かし続けられても人間としての尊厳は守られていると思えないのです。
最近、マスコミで尊厳死が話題として取り上げられることがありましたが、ただ、健康な人々の勝手な思いこみによる反対論は私としては聞いていて腹が立つこともあります。
意識もなく、ただ、病院のベッドに縛り付けられて眠っているだけの状態で心臓だけ動いていても生きていると言えるのかどうか、私には疑問です。
そして、日弁連の言っている『死者(もしくは脳死者)の人権』という言葉にも疑問を持ちます。
人権とは生きている人間が持つ物であって、死んだ人間にまで適用されるんでしょうか?
だとしたら、極端な話ですが、靖国神社に祀られている人々にも人権があり、その死者の御霊を冒涜している人々は人権蹂躙している事にはならないのでしょうか?
話はそれましたが、日本には技術があるのに行かされていないモノが多くあるように思えます。
臓器移植もその一つだと思います。
世界でも有数の医学技術を持つ日本が脳死移植法が施行されて10年近く経っても、脳死移植がまだ50例にも満たないのです。
日本で待っていても希望が持てないから海外へ渡って臓器移植をするという人が多いのは、日本人の農事移植に対する無関心、もしくは拒否反応から来る副産物ではないでしょうか?
移植手術をすることで生きられる望みがある、だけど、日本国内の正規のルートで順番待ちをしていても死ぬまで順番が回ってこないかも知れない・・・そうなったとき、海外へ行けば活路が見いだせるとなれば、大きなお金をはたいても何とかしたいと思うのは仕方のないことではないでしょうか?
臓器移植を望んで海外へ渉日本人を日本人が批難してはいけないし、海外から現在の中国へ渡る日本人患者を非難されているのは日本全体が非難されていることであると日本人も肝に銘じるべきでしょう。
日本人はもっと、こうしたことに関心を持つべきです。
移植医療がもっと普及すれば現在問題になっている医療費の問題も軽減出来るのです。
今月26日、脳死移植手術が行われました。
段々新聞などの記事の扱いも小さくなっていっていますが、一般の人々への認知度が上がっているとも思えないのが正直な感想です。
税金を上げるのを反対だというのなら、健康保険料を上げるのを反対だというのなら、こうしたことに関心を持ち、ドナーカードを持つことで将来的に医療費が軽減されていくのですから、国に対してこうした協力を国民がすべきだと思うのですが・・・。
中国に渡航して臓器移植を受ける患者が増えていることから、日本移植学会(田中紘一理事長)は9月8日、韓国移植学会と合同で、海外渡航移植の様々な問題を議論する初の国際シンポジウムを千葉市の幕張メッセで開く。
この問題の実態把握に、国際連携で取り組む先駆的な試みとして注目される。
シンポジウムでは、日韓の詳しい渡航データを発表するほか、英国の研究者が、欧州からアジアへの渡航移植の状況を報告。渡航移植の国際ルール作りの可能性なども議論する見込み。
過去に中国で移植を受けた日本人は、厚生労働省研究班が4月に発表した調査結果によると、判明分だけで腎臓106人、肝臓14人の計120人にのぼる。
一方、韓国の中国渡航患者は、同国移植学会の調査で、1999〜2001年の1〜4人に対し、04年には120人を突破。把握されていない患者も含めれば、「年間1000人近い」とみる医療関係者もいる。
欧米からの渡航者数は不明だが、英国移植学会は4月に「中国では死刑囚から本人や家族の同意なしに臓器が摘出され、金銭授受が行われている」として批判の声明を発表している。
(2006年5月29日14時59分 読売新聞)
10日ぶりの更新となりました。
留守中にもコメントを頂きまして、ありがとうございました。
自宅に帰って参りましたので、また、時間の許す限り、言いたい放題なブログですが、書きつづっていきたいと思います。
さて、久しぶりに我が国の臓器移植法について語ってみたいと思います。
臓器移植に関しては日本は先進国の中でも法的にも国民意識的にも相当後れをとっている分野になります。
反対派の方々の言っていることも理解出来ないワケじゃないんですけれど、当事者の私としてはどうしても賛成派に回らなくてはならない現実もあったりして・・・心中としては中々複雑な部分もあります。
まして、与党の提出した臓器移植法改正案については野党が日弁連とつるんで反対に回っているモノだからちょっと賛成派としては頂けない状況となっています。
脳死が人の死と認めるか否かについての議論ははっきり言って未来永劫、これだ!と言う答えが出てくることはないでしょう。
脳死移植が医学の進歩によって作られた技術であるなら、脳死状態で様々な機械を取り付けて心臓を動かし続けるのもまた、医学の進歩によって作られた技術であります。
本来の自然の姿だったら助かるはずのない命であることは否定出来ないのです。
もう随分以前のドラマでしたが、命を維持し続けることが医者の使命だ!みたいな台詞を言っていたドクターの役がいましたけれど、生きていたって、自分で呼吸し、ものを食べ、自分の足で立てなければ生きていると言えるのか?と考えたモノでした。
私自身がずっと病人として生きていた為の感想だったのかも知れませんが、自分の力で何も出来なくなって、生きていることの実感を感じられなくなった状態でただ、心臓を動かし続けられても人間としての尊厳は守られていると思えないのです。
最近、マスコミで尊厳死が話題として取り上げられることがありましたが、ただ、健康な人々の勝手な思いこみによる反対論は私としては聞いていて腹が立つこともあります。
意識もなく、ただ、病院のベッドに縛り付けられて眠っているだけの状態で心臓だけ動いていても生きていると言えるのかどうか、私には疑問です。
そして、日弁連の言っている『死者(もしくは脳死者)の人権』という言葉にも疑問を持ちます。
人権とは生きている人間が持つ物であって、死んだ人間にまで適用されるんでしょうか?
だとしたら、極端な話ですが、靖国神社に祀られている人々にも人権があり、その死者の御霊を冒涜している人々は人権蹂躙している事にはならないのでしょうか?
話はそれましたが、日本には技術があるのに行かされていないモノが多くあるように思えます。
臓器移植もその一つだと思います。
世界でも有数の医学技術を持つ日本が脳死移植法が施行されて10年近く経っても、脳死移植がまだ50例にも満たないのです。
日本で待っていても希望が持てないから海外へ渡って臓器移植をするという人が多いのは、日本人の農事移植に対する無関心、もしくは拒否反応から来る副産物ではないでしょうか?
移植手術をすることで生きられる望みがある、だけど、日本国内の正規のルートで順番待ちをしていても死ぬまで順番が回ってこないかも知れない・・・そうなったとき、海外へ行けば活路が見いだせるとなれば、大きなお金をはたいても何とかしたいと思うのは仕方のないことではないでしょうか?
臓器移植を望んで海外へ渉日本人を日本人が批難してはいけないし、海外から現在の中国へ渡る日本人患者を非難されているのは日本全体が非難されていることであると日本人も肝に銘じるべきでしょう。
日本人はもっと、こうしたことに関心を持つべきです。
移植医療がもっと普及すれば現在問題になっている医療費の問題も軽減出来るのです。
今月26日、脳死移植手術が行われました。
段々新聞などの記事の扱いも小さくなっていっていますが、一般の人々への認知度が上がっているとも思えないのが正直な感想です。
税金を上げるのを反対だというのなら、健康保険料を上げるのを反対だというのなら、こうしたことに関心を持ち、ドナーカードを持つことで将来的に医療費が軽減されていくのですから、国に対してこうした協力を国民がすべきだと思うのですが・・・。
臓器移植:千葉東病院、7月に生体膵腎同時移植−−血液型不適合間で初
国立病院機構「千葉東病院」(千葉市中央区、山岸文雄院長)が、重い糖尿病患者で腎不全を併発した北陸地方に住むO型の30代の女性に、A型の50代の母親から生体膵(すい)腎同時移植を7月上旬に実施することが分かった。同病院臨床研究センター長の剣持敬(けんもちたかし)医師によると、血液型不適合者からの膵臓移植の報告例はないといい、世界初となる見通し。
剣持医師によると、女性はインスリンを体内でつくることができない1型糖尿病患者で、母親の片方の腎臓と膵臓の半分を移植する。
剣持医師はこれまで単独、同時合わせて5回の膵臓移植を行ったが、いずれも提供者と患者の血液型が一致、またはO型からA型など適合するケースだった。しかし、腎移植は血液型不適合者からも日常的に行われており、腎移植の手法を用いれば、膵臓移植でも可能と判断したという。
血液の拒絶反応から、血栓症を引き起こす可能性があるため、移植前に血液型抗体を作る脾臓(ひぞう)の摘出手術なども行う。
剣持医師は「これまで血液型が不適合という理由で移植ができなかった患者へ門戸が開かれる」と意義を強調している。【山本太一】
毎日新聞 2006年5月4日 東京朝刊
普段書いている内容とちょっとかけ離れている内容なのですが、ちょっと移植法に関しては事情がありまして、取り上げたいと思います。
なお、私は脳死、心停止の臓器提供に『賛成』の立場に立っています。
そして、日本人が日本国内で臓器移植を受ける事の出来ない実態から高額のお金を払ってアメリカに行くか、リスクは高いけれどアメリカでかかる費用より0の数が二つ違う中国で移植をするか、現在の日本では生きる為に海外へ行く事を選択している実態があります。
今回書く内容はある意味『ドナーカードを持ってください』という趣旨も含まれています。
そう言った事を言われる事に苦痛を感じたり、プレッシャーを感じる方はここまで読んだ段階でこのページを閉じてください。
このたび、血液型不適合の親子間での膵臓と腎臓の同時移植が行われます。
腎臓のみの移植の場合、様々な処置の元、血液型不適合でも移植が可能で、実際に行われてきています。
しかし、膵臓移植の必要な1型糖尿病とは普通の手術を受けるにも血糖のコントロールが難しく、盲腸の手術ですら血糖を徹底管理の下で行わなくてはなりません。
ですから、糖尿病のない体の人が腎臓を血液型不適合で移植するのにも大変なリスクがあるのですが、それ以上のリスクがあると言う事になります。
今の日本ではそんなリスクをおかしてでも移植を受けなければ生きられない人々が数多くいます。
『日本臓器移植ネットワーク』を見て頂くと分かりますが、移植希望者に比べて臓器提供者の数が圧倒的に少ないのが今の日本の現状です。
臓器移植法には臓器提供に当たっては『金銭の授受をしてはならない』と定められているのですが、実際にはお金を貯めたり、募金で集めたりして海外で金銭の授受をして移植を受けているのが実情です。
そして、中国で腎臓移植を受けた人の中には死亡した方、日本に帰ってきて何らかの後遺症で入院したきりになってしまった方が出てきて、海外での移植も問題になってきています。
大体、中国で手術を受けるという事自体、私としては怖くなります。
確かに経済成長はめざましいですが、国内の様々な技術がどれほど先進国に追いついているかが分からないからです。
また、アメリカのような契約社会ではないので、何か問題が起きたときの担保がないに等しい事も問題としてあげなくてはいけません。
アメリカで移植を受けようと思うと1億円近いお金がかかります。
手術費、入院費、投薬費、治療費の他に付き添いの滞在費や通訳の人を雇うお金など、様々な費用を考えると最低1億円くらいは用意しないと心もとありません。
アメリカでの移植はお金がかかる、中国での移植は技術面やアフターケアの問題が大きく、本当なら日本国内で移植を受ける事が一番いい事なのです。
しかし、現在『ドナーカード』の存在すら忘れ去られているのが実情です。
中国の場合、『死刑囚』がドナーになっている事が殆どです。
私が言いたいのは提供するかどうかは個人の判断で決める事です。
ただ、『臓器提供意思表示カード』をもっと多くの人に持って欲しいのです。
インターネットで申し込めば無料で送付されます。
これを読んで何かを感じてくださった方は是非、ウェブサイトにアクセスして、日本での移植の実態を知ってください。
臓器移植が必要になる可能性は誰もが持っているのです。
その時に、生きられる道があれば・・・と思わなくて済むように・・・。
一人でも多くの人が臓器移植を理解し、今回のような大きなリスクを背負わずに済むように、一人でも多くの理解者がいてくれる事を切に願ってやみません。
国立病院機構「千葉東病院」(千葉市中央区、山岸文雄院長)が、重い糖尿病患者で腎不全を併発した北陸地方に住むO型の30代の女性に、A型の50代の母親から生体膵(すい)腎同時移植を7月上旬に実施することが分かった。同病院臨床研究センター長の剣持敬(けんもちたかし)医師によると、血液型不適合者からの膵臓移植の報告例はないといい、世界初となる見通し。
剣持医師によると、女性はインスリンを体内でつくることができない1型糖尿病患者で、母親の片方の腎臓と膵臓の半分を移植する。
剣持医師はこれまで単独、同時合わせて5回の膵臓移植を行ったが、いずれも提供者と患者の血液型が一致、またはO型からA型など適合するケースだった。しかし、腎移植は血液型不適合者からも日常的に行われており、腎移植の手法を用いれば、膵臓移植でも可能と判断したという。
血液の拒絶反応から、血栓症を引き起こす可能性があるため、移植前に血液型抗体を作る脾臓(ひぞう)の摘出手術なども行う。
剣持医師は「これまで血液型が不適合という理由で移植ができなかった患者へ門戸が開かれる」と意義を強調している。【山本太一】
毎日新聞 2006年5月4日 東京朝刊
普段書いている内容とちょっとかけ離れている内容なのですが、ちょっと移植法に関しては事情がありまして、取り上げたいと思います。
なお、私は脳死、心停止の臓器提供に『賛成』の立場に立っています。
そして、日本人が日本国内で臓器移植を受ける事の出来ない実態から高額のお金を払ってアメリカに行くか、リスクは高いけれどアメリカでかかる費用より0の数が二つ違う中国で移植をするか、現在の日本では生きる為に海外へ行く事を選択している実態があります。
今回書く内容はある意味『ドナーカードを持ってください』という趣旨も含まれています。
そう言った事を言われる事に苦痛を感じたり、プレッシャーを感じる方はここまで読んだ段階でこのページを閉じてください。
このたび、血液型不適合の親子間での膵臓と腎臓の同時移植が行われます。
腎臓のみの移植の場合、様々な処置の元、血液型不適合でも移植が可能で、実際に行われてきています。
しかし、膵臓移植の必要な1型糖尿病とは普通の手術を受けるにも血糖のコントロールが難しく、盲腸の手術ですら血糖を徹底管理の下で行わなくてはなりません。
ですから、糖尿病のない体の人が腎臓を血液型不適合で移植するのにも大変なリスクがあるのですが、それ以上のリスクがあると言う事になります。
今の日本ではそんなリスクをおかしてでも移植を受けなければ生きられない人々が数多くいます。
『日本臓器移植ネットワーク』を見て頂くと分かりますが、移植希望者に比べて臓器提供者の数が圧倒的に少ないのが今の日本の現状です。
臓器移植法には臓器提供に当たっては『金銭の授受をしてはならない』と定められているのですが、実際にはお金を貯めたり、募金で集めたりして海外で金銭の授受をして移植を受けているのが実情です。
そして、中国で腎臓移植を受けた人の中には死亡した方、日本に帰ってきて何らかの後遺症で入院したきりになってしまった方が出てきて、海外での移植も問題になってきています。
大体、中国で手術を受けるという事自体、私としては怖くなります。
確かに経済成長はめざましいですが、国内の様々な技術がどれほど先進国に追いついているかが分からないからです。
また、アメリカのような契約社会ではないので、何か問題が起きたときの担保がないに等しい事も問題としてあげなくてはいけません。
アメリカで移植を受けようと思うと1億円近いお金がかかります。
手術費、入院費、投薬費、治療費の他に付き添いの滞在費や通訳の人を雇うお金など、様々な費用を考えると最低1億円くらいは用意しないと心もとありません。
アメリカでの移植はお金がかかる、中国での移植は技術面やアフターケアの問題が大きく、本当なら日本国内で移植を受ける事が一番いい事なのです。
しかし、現在『ドナーカード』の存在すら忘れ去られているのが実情です。
中国の場合、『死刑囚』がドナーになっている事が殆どです。
私が言いたいのは提供するかどうかは個人の判断で決める事です。
ただ、『臓器提供意思表示カード』をもっと多くの人に持って欲しいのです。
インターネットで申し込めば無料で送付されます。
これを読んで何かを感じてくださった方は是非、ウェブサイトにアクセスして、日本での移植の実態を知ってください。
臓器移植が必要になる可能性は誰もが持っているのです。
その時に、生きられる道があれば・・・と思わなくて済むように・・・。
一人でも多くの人が臓器移植を理解し、今回のような大きなリスクを背負わずに済むように、一人でも多くの理解者がいてくれる事を切に願ってやみません。
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